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(埼玉県川越市西小仙波町)


赤線の街で、駅から三十分ほどの著名な名刹喜多院のそばにある廓町に二十軒、花魁イモのような顔の花魁が八十一名。風物はよきだが、女はダメ。
(『全国女性街ガイド』)



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川越のランドマーク・時の鐘通り


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そして、蔵の街通り。

川越は東京近郊の手軽な観光スポットで、年中観光客でいっぱいなのだが、今回の主役はそこから少し離れた別の場所。


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天台宗星野院喜多院(川越大師) 徳川家ゆかりの寺院


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境内の五百羅漢像


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喜多院裏手の西小仙波町。川越の遊里はこの場所にあった。


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「白舟」というのはかつての屋号か


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立派な建物が続いて残っている


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現在はレストランとして利用されている


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旅館「市むら」


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裏手の細い通りに裏口がある



廃娼県の埼玉県には表向きでは遊廓が存在していなかったが、実際には「乙種料理店(達磨屋)」が実質上の遊廓同様の営業を続けていた。
川越の場合、喜多院裏手の西小仙波町がその一角で、戦後の赤線移行後もかつての風情のまま残しながら営業を続けていたようだ。
赤線廃止から半世紀以上たった今も、往時のままの木造家屋が数軒残っていて、旅館や飲食店として使われている。
観光客が集まり喧騒の「蔵の町」から離れている事もあるせいか、対照的に閑静な佇まいである。

ところで、蔵の町として栄えていた川越だが、旦那衆を相手としていた花街も存在していても不思議ではない。
その花街跡とされている名残りが残っている。



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蔵の町の北側「札の辻」交差点から北に外れた場所にあるゲートが建っている横丁


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蔵の街通りから北に外れた場所にゲートがかかっている小道があり、くぐってみると飲み屋横丁だったのだが、そのほとんどが主のいない廃墟だった。
その裏手などには円窓を持った建物なども残っていて、恐らく芸妓置屋など花街の名残りだったのだろう。
因みに「弁天横丁」という名がついていたそうだ。

(訪問 201303・201905)

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