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(埼玉県熊谷市伊勢町)

駅から南へ二十分程の荒川堤下に活況を呈し、現在でも約百軒、三百余名の女がいる。特に花見時は、約一里の間、染井吉野の老桜が咲き乱れ、揚るのに浮き浮きしてくるから妙。桜は老桜でも、女たちは若いのが多い。まだこのほか飲み屋の女も転び、宿の女も寝るというデマも飛んでいるが、けむりの立たぬところに何とやら。
(『全国女性街ガイド』)



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最寄り駅の秩父鉄道「上熊谷駅」ホームの上屋は昭和8年開業当時のままか


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メイン通り 異様に道幅が広い通りだ


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ベンガラ色の妓楼らしき一軒

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裏手にも通用門があった


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向かいにももう一軒


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メイン通りからは上越新幹線の高架が見える



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奥行きがあるのでもしかすると......



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上越新幹線の高架沿いにも往時の雰囲気がある一軒


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ちょうど新幹線が通過してきた


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帰り道に見つけたカフェー風の飲み屋 外郭の青線があったか


熊谷は中山道の宿場町で、大宮と同様に飯盛旅籠が点在していたのを弁天町(現・弥生町)に集め、一廓を成していたが、大正14年の大火で全焼したことで旧荒川堤の西側を越えた農地を新開地として移転し、乙女町(現・伊勢町)と名がついた。
吉原仲ノ町をモデルとした広小路の両側に総二階の妓楼が軒をつらねていたという。
因みに埼玉県は廃娼県だったので、大宮川越と同様の「乙種料理店(達磨屋)」だった。
戦後の赤線を経て、現在は何の変哲もない住宅街に変貌したが、その中にあって明らかに場違いで目立つ妓楼が一軒残っていたのが印象的だった。



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伊勢町とは線路挟んで反対側に料亭 


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現在の遊里は駅周辺にシフトしている

(訪問 201312)


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