090 (2)
(石川県金沢市石坂)

裏日本の”京都”金沢も、山中、片山津の発展で女の方はがた落ち気味。
戦前、その嬌名をうたわれた若柳流の東廓(現在でも一流)、少し落ちて西川流の西廓、藤間流の主計町、花柳流の北廓、併せて東西南北会に入っている芸者百八十六名(東廓七十名。西廓五十名。北廓三十六名。主計町三十名。)もぐりを入れて二百四十名。その東西南北会が去る三月二十二日(昭三十)に、昨年の所得税査定が例年の二倍の十六万はひどいと芸者廃業闘争に入り、名士達の斡旋でやっとうやむやに片がついたが、秋田同様、ストをやった芸者の方の評判があまりよくない。
赤線の代表は、駅から二十分の愛宕で三十六軒に百八十余名いる。昔、有名だった石坂裕楽園はさびれ、最近は香林坊裏の青線が発達し、ハモニカ長屋のような屋根裏で泊り千円。
(『全国女性街ガイド』)



スクリーンショット (310)

加賀百万石の城下町・金沢。
戦国時代は一向一揆の中心で、本願寺の拠点として尾山御坊を中心とした寺内町だったが、天正8年に織田信長により攻略され、御坊の跡地に金沢城を築城、前田利家が入城する。
城下町は二重の惣構え、各地に点在していた寺院を防御(外城)も兼ねて寺町、卯辰山、小立野の3か所に集められて寺院群を形成させた。
浅野川流域の卯辰山、犀川流域の寺町それぞれの寺院群に町人街が形成され、それぞれ文化3年に公認の遊廓として「東廓」「西廓」が設けられる。
明治以降、「東廓」の対岸に「主計町」、「西廓」付近に「北廓」が新たにできる。

昭和2年刊行の『全国遊郭案内』によれば、

金沢の主計町は遊廓では無いが、芸妓は娼妓と略同様の事をして居る事は既に書いた。処で、金沢市には主計町の外に、「東廓」と「西廓」に二大遊廓がある。東廓には貸座敷又は揚屋、待合茶屋が八十四軒あつて、西廓には百三十軒ある。其処に働いて居る紅唇の女は、悉く芸妓の鑑札を持つて居る者ではあるが、事実上に於ては娼妓と何ら変る処は無い。上町、下町と区別して在つて、上町は最も質の高い酌婦(芸妓ではあるが酌婦と云つた方が至当だ)、下町は下等の酌婦と云ふ具合に大体の区別は着いて居る上町の酌婦は大抵送り込み制で、店は張つて居ないが、下町の方へ行けば、殆んど公然と店を張つて客を呼んで居ると云ふ状態である。検微は無論行はれて居るから、娼妓と同程度に安心して善い。而して下町の酌婦でも送り込まれて行く場合もあるが、其んな事はめつたになく、大抵は呼び込んだ客を引き揚げて居稼ぎをやることの方が遥かに多い。主計町の外に北石坂町にも花街がある。此処にも芸妓ばかりで娼妓は居ないが、此の主計町と北石坂町は比較的高級な処で、北廓と西廓と東廓は比較的低級な処とされて居る。言葉を代へて云ふと客種の悪い処である。従つて値も安い。

という感じである。



東廓201507(1)
ひがし茶屋街(東廓)

金沢の観光ガイドでは、兼六園や金沢城などと並んで、かつての遊廓地「ひがし茶屋街」が紹介されている。
卯辰山を正面に臨むメインストリートの「二番丁通り」は平日でも観光客の姿が目につく。
因みに、観光ガイドでは「ひがし茶屋街」と紹介されているが、実際には遊廓で「東廓」と呼ばれていた。


東廓201507(2)
ひがし茶屋街(東廓)

東廓201507(3)
ひがし茶屋街(東廓)「志摩」 昭和30年代まで茶屋として営業(国重文)


東廓201507(4)
ひがし茶屋街(東廓)


東廓201507(5)
ひがし茶屋街(東廓)



愛宕201507(1)
愛宕

観光地化ライズに綺麗に整備された「東廓」から一歩外れると、うらびれた家並を目にする。
恐らくこの辺りが「愛宕」と呼ばれた旧赤線だろう。
赤線廃止後はひっそりとした佇まいで余生を過ごしている。


愛宕201507(2)
愛宕


愛宕201507(4)
愛宕


愛宕201507(3)
愛宕 蕎麦屋の看板に「愛宕」という文字

主計町201507(1)
主計町 浅野川大橋から川向うを望むと茶屋が並ぶ風景


主計町201507(2)
主計町 川沿いにお茶屋が並ぶ

浅野川を挟んで東廓の対岸にある「主計町」は、正式には公認の遊廓では無いが、尾張町の商人たちがご贔屓する遊里として繁昌していた。
『全国遊郭案内』では「主計町」を別項で取り上げていて、次のように紹介している。

貸座敷の許可地では無いが、さればとて検番制度でも無い。金沢百万石と云ふ偉大なる力が、斯うした芸妓とも娼妓とも付かない一種変態的な物を生んだものと思はれる。但し女は芸妓の鑑札を所持して居る。中には二枚の女も居る。妓楼は料理屋と云ふ看板か、又は待合茶屋と看板が出て居る。業態は総て貸座敷と同様の事をやるのであるが、一寸茲の制度は変って居る。即ち自宅で抱へて置く芸妓でも、芸妓と云ふ芸妓は総て組合事務所に寄寓して居り、食事丈けは抱主の許でする事に成つて居るので、全部送り込み制の形式を取って居る。(中略)現在貸座敷は三十八軒、芸妓九十名程居る。其れに主計町は、不利の客は揚げないと云ふ悪い習慣があるので、非常に土地の発展を阻害して居る。


主計町201507(3)
主計町 東廓と異なり、こちらは観光客の姿は見えない。穴場といえる。


主計町201507(4)
主計町 暗がり坂から臨む


主計町201507(5)
主計町 主計町事務所(検番)


主計町201507(7)
主計町 明かり坂から臨む


主計町201507(6)
主計町 奥の細い小路にもお茶屋が密集している


なお、「東廓」「主計町」はそれぞれ重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。
遊里跡としてだけでなく、古い街並みとしても兼ねて散策したい。
(長くなりましたので、犀川流域の遊里跡は次回に回します)

(訪問 201507)


にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村



街・建物写真ランキング


1日1クリックお願いします